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フォン・ノイマンの哲学 [本]

6月1日(水)
高橋昌一郎『フォン・ノイマンの哲学』(講談社現代新書)読了。

フォン・ノイマンの哲学 人間のフリをした悪魔 (講談社現代新書)

フォン・ノイマンの哲学 人間のフリをした悪魔 (講談社現代新書)

  • 作者: 高橋昌一郎
  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 2021/02/17
  • メディア: Kindle版


国学院大学教授の高橋昌一郎が、数学者・物理学者のジョン・フォン・ノイマンの生涯と業績を語る。

ジョン・フォン・ノイマンは、1903年、ハンガリーのブダペスト生まれ。
父は銀行の弁護士、両親ともハンガリーに移住したユダヤ系ドイツ人。
1914年、ルーテル・ギムナジウム「アウグスト信仰の福音学校」へ入学。
1920年、17歳のギムナジウム時代に、数学者フェケテと共同で最初の数学論文「ある種の最小多項式の零点と超越直径について」を書く。
1921年、18歳で、ブダペスト大学大学院の数学科に入学。
その後、ベルリン大学とチューリッヒ工科大学を掛け持ちして、化学工学を学ぶ。
23歳で数学・物理・化学の博士号を授与された。
1926年、論文がドイツのダフィット・ヒルベルトに気に入られ、ゲッティンゲン大学でヒルベルトに師事。
1927年から、史上最年少の24歳でベルリン大学の私講師を務めた。
1930年、アメリカのプリンストン高等研究所の所員に選ばれた。(4人のメンバーのうち2人はアルベルト・アインシュタインとヘルマン・ワイル)。
1937年、アメリカ合衆国陸軍に志願するが、年齢制限で不採用になった。
が、アメリカ合衆国海軍のコンサルティングをし、ロスアラモス国立研究所で原子爆弾開発のためのマンハッタン計画に参加。
さらに、ENIACによる電子計算機のプロジェクトにも参加。
1950年代はアメリカ合衆国国防総省、中央情報局(CIA)、IBM、ゼネラル・エレクトリック、スタンダード・オイルなどの顧問として活躍。
しかし、太平洋での核爆弾実験の観測やロスアラモス国立研究所での核兵器開発の際に放射線を浴びたことが原因となって、1955年に骨腫瘍あるいはすい臓がんを発症し、1957年に死去。
まさに、真の天才。
数学・物理学・工学・計算機科学・経済学・気象学・心理学・政治学に影響を与えた20世紀科学史における最重要人物の一人とされ、特に原子爆弾やコンピュータの開発の第一人者だった。
が、第二次世界大戦後、ソ連への原爆投下を主張するなど、その思想は極端な科学至上主義で、ヒューマニストだったアインシュタインとは好対照。
とは言え、54年の人生で、100人分の業績を挙げてしまったのだから、尊敬せざるを得ない。
凄い人がいたものだ。
お薦めです。

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